1945年8月、中国大陸東北部の旧満州国において、河野村開拓団73名が、逃避行中に集団自決をした。男たちはそれ以前に召集され、自決したのは残された老人・女性・子供ばかりであった。大日本帝国の崩壊とともに悲劇へと追いやられた彼らは、長野県南部の河野村(現下伊那郡豊丘村)から分村して満州へ渡った人々だった。分村移民を推進した当時の河野村長・胡桃澤盛(1905-1946)は、翌年、自ら命を絶っている。

胡桃澤盛とは、どういう人物だったのだろう。彼は少年期より自死の直前に至るまで、自らの心の軌跡を日記に書き続けていた。そこには青年期の煩悶から、敗戦後、国家再建を願う苦しい闘いまで、その精神の葛藤が赤裸々に綴られている。それは紛れもなく、一人の人間の生きた真実をいまに伝えるものである。

読者はほんの1・2ページでよい、この日記を開いて読んでみたならば、大正・昭和の農村に生きた知的な一青年の、魂のかけらに触れることができるだろう。内向的な性格で文学へのあこがれも抱いていた胡桃澤は、その日記に自らの精神を刻んで生きていたかのようだ。その思考力と表現力の豊かさは、激動の時代を映して変遷する精神の軌跡を、鮮やかに描きだしている。

青年期、左翼的な青年運動にも関わった胡桃澤が、やがて戦時下に国策を推進し、自死に至るその行路には、近代日本の一つの精神史が刻印されているのではないだろうか。そして恐慌期の農村に生き、そこから世界を見つめ思索していた胡桃澤の日記をひもとくことは、現在、地域に耐乏し模索する人々にとっても、少なからぬ感銘を与えるに違いない。ここにこの一個人の日記を世に贈ろうとするのは、そうした想いからである。
 

             「胡桃澤盛日記」刊行会

最終更新日 2019年12月31日 Copyright © 2019 「胡桃澤盛日記」刊行会 All Rights Reserved.
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