第1巻 大正12年―大正14年

 2011年10月刊
 A5判・429頁・並製

胡桃澤盛19歳から21歳の日記。恋愛に悩み、労働に励み、家族の不幸を悲しみながら、一方で自由大学を受講し、青年会活動を行い、左傾運動にも接近。大正デモクラシーの時代、長野県下伊那郡では青年たちがデモや社会主義運動を行い、あるいはそれらに反発し、情熱的に動いていた。青春時代前編。

第2巻 大正15年―昭和4年

 2012年2月刊
 A5判・409頁・並製

22歳から25歳までの日記。結婚をし、安定をみたと思われた胡桃澤盛に、弟・父・妻・子とあいついで家族の不幸が訪れる。新興宗教である天理研究会(のちの天理ほんみち)に熱をあげ、不敬事件にも関わる波瀾の日々。青春時代後編。

第3巻 昭和5年―昭和9年

 2012年7月刊
 A5判・464頁・並製

26歳から30歳までの日記。昭和恐慌・農村不況により、養蚕業に特化していた下伊那の農村は惨憺たる状況に陥る。家を継いだ胡桃澤盛は再婚し、家業の養蚕・農林業に励み、家を立て直す。恐慌下の農村・都市の姿が活写される日記。家業精励時代前編。

第4巻 昭和10年―昭和13年

 2012年11月刊
 A5判・459頁・並製

31歳から34歳までの日記。村会議員となった胡桃澤盛は、不況が続く農村を立て直す努力を続け、また実行組合長として経済更生運動に力を入れる。昭和12年7月、日中戦争が始まると社会は一変し、村は兵士送りと戦死者の村葬におわれる。家業精励時代後編。

第5巻 昭和14年―昭和18年

 2013年3月刊
 A5判・502頁・並製

35歳から39歳までの日記。助役を経、弱冠36歳にして河野村の村長となった胡桃澤盛は、村のため、国家のために力を尽くしていく。紀元2600年記念祝賀行事への参加に始まり、出征兵士の送り出しや遺骨迎えなど、戦時体制下の行政の末端としての仕事のほか、県道・林道の整備、橋の架け替えなどを実施する。一方で食糧増産や満州への移民推進などを行い、河野村は標準農村(皇国農村)に指定されるに至る。村長時代前編。

第6巻 昭和19年―昭和21年・村長日誌(昭和16年―昭和20年)
 2013年12月刊
 A5判・487頁・並製

40歳から42歳までの日記。昭和19年、河野村では満州への分村移民を実行。弟の昭三も奉天の学校へ進学する。必勝を祈り村長として銃後の戦争を戦った胡桃澤盛であったが、敗戦を迎え、やがて日本社会の急激な価値観の転換に方向を見失う。食糧供出や満州開拓団の資金貸与問題の解決などに尽力するも、役場・農会の腐敗に責任を感じ辞職する。村長時代後編。

最終更新日 2019年12月31日 Copyright © 2019 「胡桃澤盛日記」刊行会 All Rights Reserved.
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